2002アイアンマンジャパン完走記
5月12日早朝、昨年に引き続いてアイアンマンジャパンのスタートに立った。
クラブから昨年出場したのは5人、今年は11人がスタートに臨んでいる。それぞれの目標をもって、、、。その目標の最たるものはもちろんハワイへの出場権である。何人かはコシタンタンとこれを狙っている。それしかないでしょうアイアンマンに出る理由は!という人も……。
私はといえばハワイのスロットはあまり縁がないので、もっぱら完走、自己ベストの更新が目標である。
しかし、坂の多いバイクコース、ランコースもなだらかではあるが長いアップダウンが続くため、大幅な記録の短縮は難しいように思えた。唯一、昨年より多少条件がいいとすれば、気候的に涼しいことだろう。
今年は昨年より2カ月以上も早い開催のため、早くから水温の低いことが話題にのぼっていた。大会本部から低水温のため注意するようにハガキもきていた。昨年は最高気温が37度にもなったというのに、今年はバイクのトラバッグにウインドブレーカやアームウオーマーも用意しているほどだ。
さて、当日の早朝、福江から専用バスで30分ほど、スイム会場の富江に到着。会場の周囲に飾られている大漁旗が強風にはためいている。波もかなり高いようで、「佐渡なら中止では」という声も聞こえる。やがて大会本部からアナウンス。スイムに自信のない人は1周回のみでも記録は認めるということである。もちろんハワイの権利はなし。
トランジッションの支度を終え、入水チェックして浜に出る。ほとんどの選手はフルウエットを着ているが私はロングジョンで鳥肌を立てている始末。レース前のアップを終えた関谷さんも水がすごく冷たいという。私は浅いところで砂浜と平行に20mほど泳いだだけでやめてしまった。これがいけなかった。まったくアップになっていない。
7時10分前、防波堤の途中から海に入る。3つあるブイの最後方で波に揺られながらスタートを待つ。やがて音は聞こえないが先頭の方で水しぶきが立ちはじめ、スタート。ゆっくりと、泳ぎ始めたつもりだったがすぐに波をかぶり、水を飲んで息が上がってしまった。これはまずい。息を整えるつもりで立ち泳ぎするが、周りはどんどん抜いていく。あせって泳ぎ出すが、またすぐに泳げなくなってしまう。こんなことを3回ほどくり返していると、頭の中がパニック状態になってしまった。天草でのリタイヤの悪夢やら、下北で上野さんが平泳ぎしたことなどを思い出し、これは本当にヤバいのではないか、と思いはじめる。すでに最後方の選手も2〜3人が平泳ぎで行ってしまった。サーフボードのライフガードにしっかりマークされながら、これはもう焦っても仕方ないと思い、ロープにつかまってしばらく休む。
10分ほども休んだか、と思ったが、後から考えてみれば5分ほどだろう。泳ぎ出してみると、なんとか泳げる。今度は波に逆らわないようにヘッドアップしながら泳いでいく。やがて平泳ぎの選手を何人か抜き、最後尾からはかろうじて抜け出した。しかし沖へ行くほどうねりは高くなり、思ったように進まない。また何度か水を飲んだが、それでも呼吸をするタイミングはつかめたようで、なんとか折り返しを過ぎる。後ろから波がくるようになると今度は泳ぐ方向が定まらなくなる。何度も方向を修正しながらようやく1周めを終え浜に上がる。水の中からカメラが追ってくるが、パフォーマンスをする余裕もなし。タイムを見ると58分、我ながらこれはひどい。
波にもまれている時は1周回でも、、、とまで思ったが、エイドでコップの水を飲むと、身体は自然と2周回目へと向かった。泳ぎながら考えるのはスイムのリミットタイムのことだけ。たしか2時間だったか? でも1周めはかなりタイムロスがあるはずだから、このままのペースで泳いでもなんとか1時間45分くらいでいけるんじゃないか? などと思う。これはまったく甘かった。1周めより長いのではと思えるほど(フローティングスタートだから確かに2周めは200m長い)の2周め後半は猛烈な尿意に襲われながら何とかゴール。タイムは2:01、しまったタイムオーバーか? しかしボランティアは何ごともなくトランジッションに誘導する。あわててウエットを下ろしながらトイレに駆け込む。
バイクエリアにはもう残りのバイクはまばらだ。なぜか自分のバイクの前後だけ3〜4台のバイクが残っているのが不思議だ。それでも何とかバイクスタートできたことに胸をなで下ろすような思いである。あとはがんがん行くしかない。
最初の峠にトンネルが開通して、20キロほどはなだらかなアップダウン。ここを過ぎると往復5キロほどの折り返しコースに入る。自分がほとんど最後尾のはず、とは思っていたが、すれ違うのはいかにもレベルの低そうな選手ばかり。もちろん鉄人のメンバーはいるはずもない。
バイクゴールのリミットは10時間、昨年のバイクが7:39だが、最悪でも同じくらいでは上がらないと足切りにあう可能性もある。ここは後のことを考えず精一杯こぐしかない。50キロほどで福江市内を通過、盛大な応援の中を抜けるとやがて長いのぼりにかかる。福江のコースはここからが本格的なアップダウンに入る。昨年とは逆回りに幾久山を越え、下り切ったところから2つめの往復コースに入る。玉之浦という地名だけあって、ここは本当にきれいなところだ。この風景を楽しんでもらおうと、新コースを設定したのかと思われるほどだ。ここを折り返したところで関谷さんに追い付いた。
たぶんスイムで無理にヘッドアップして泳いだからだろう。バイクに乗ってしばらくすると右の腰が痛くなってきた。今からこれでは後半が思いやられる。80キロ付近の荒川のスペシャルエイドでたまらずトイレに行き、ついでに腰をのばす。
ここから2周回のコースに入る。最初は3キロほど、けっこうきつい坂が続く。この坂だけは2周回プラス1回、計3回通過することになる。最初の周回にはいってすぐに塚越さんに尻をなでられ、高浜のあたりで本吉さんに抜かれ、あえなく周回遅れとなる。昨年のコースではバイクで先頭を走っていたジェーソンや田村に抜かれたが、今年はそれもなし。2周回目、半数ほどの選手が二本楠の交差点を直進していき、二周回目に残った選手の数はめっきり寂しくなる。かなり向い風が強く、スピードが上がらない。ここでまたトイレに寄り、腰をストレッチ。今年は説明会でも「おしっこはちゃんとトイレで」と子供に諭すがごとくマナーの遵守が呼びかけられていた。
最初は30キロ近く出ていた平均速度もめっきりと落ちて、残り時間が気になってくる。このままいけば制限時間には間に合いそうだが、もしパンクでもすればかなりきわどい。ここは少しでもランに余裕を残してバイクを上がりたい。
3回めの坂を登ればあとはたいしたことはない。気持ちのいい長い下り坂のあと、中央公園への上りがあってバイクゴール。タイムは9:35くらい。この時点で昨年より30分遅れである。残り時間は5:25、昨年通りのランタイムでは最終ランナーになってしまう。バイクジャージをランシャツに着替え、バイクパンツはそのままで走り出す。
ランのコースも昨年とは異なり、鬼岳の周囲約20キロほどを2周回するコース。まず最初はメイン会場の中央公園の周りを3キロほど折り返す。自分の前には誰も走っておらず、折り返してからも後ろにいるはずの関谷さんにも会わない。このぶんでは関谷さんはおそらくバイクのリミットギリギリになるだろう。
いつもながらランの最初は足がうまく動かない。それでもついさっきまで腰の痛みを我慢しながらバイクに乗っていたことを思えば、なんという開放感だろう。昨年は日陰もない空港の周回コースをえんえんと走らされたのだが、今年は気持ちよく走れる。やがて2つめの折り返し。たぶん前にいるはずの太郎ちゃんにも会えない。
ランコースはそれほどのアップダウンはないが、1〜2キロも続くだらだらとした上りが何ケ所もある。5キロごとのラップタイムはエイドでの補給もいれて31分ほど。自分としてはかなり調子がいい。しかも10キロ、15キロでもまったくペースが落ちていない。15キロ過ぎ、右手に海を眺めながら走っていると後ろから呼びかける声、太郎ちゃんである。気づかずに追いこしたらしい。どうやらめっきりとペースが落ちている様子、よしよし。やがて福江市内に入る。22キロ地点、武家屋敷の通りを2周回の選手が右折していき、あとはまためっきりと人数が減る。市内を通過して3回めのトイレタイム。今年はエイドに水も補給食も十分に用意されているが、ランに入ってからは背中にいれたカーボショッツばかり。あとは今回なぜか気に入っているビスケットをエイドごとにもらって食べる。2周回目はさすがにペースダウン、5キロを34〜35分くらいかかるようになる。30キロを過ぎたころ日が暮れた。とにかくエイドステーションの数が多く、いちいち立ち止まっていると結構タイムロスになる。止まるのは1つおきと決めて走るが、それでも30キロでは36分、35キロでは35分とペースダウン。しかしこのぶんならなんとか完走は確実になってきた。
福江市内に近付くと応援の数も増えて知らず知らずペースが上がる、最後の7キロは43分、キロ6分ほどに復活、最後に抜いたランナーとの間隔を十分にとって福江城の門をくぐる。今年はゴールが高校のグランドとなりスタンドが設けられてすごく盛り上がっている。出迎えの観客とハイタッチしながら両手を挙げてゴール。タイムは14:11:51。昨年より19分早いゴールだった。スイムの失敗が悔やまれるが、それも実力。今回は誰もがスイムでは苦しめられた。首の周りにウエットスーツのあざができている人がかなりいた。それに反してランのタイムは2年連続優勝の田村が2:40と驚異的な速さであったのをはじめ、全体的に速かったようだ。岡野さんが指摘する通り、完走者の3分の1以上がサブ4である。距離が短いのでは、という意見もあるようだが、昨年のサブ4は70人、今年は250人というハイレベルな大会となった。結局、塚越さんがEエイジで17位、本吉さんがFの11位、安川さん同17位、松岡さんGの18位と、ハワイを目指すには厳しい大会となってしまった。
翌日はコンカナ王国の温泉へ、味噌汁のような色の露天風呂に浸かりながらの反省会、およびソクチョ対策会議となった。来年のジャパンでのリベンジを誓う人、ソクチョでハワイを狙う人とさまざまだが、とりあえず自分は2週後の糸魚川しか予定はなくなってしまった。ロングの後の虚脱感の中で、日産くらい出てみようかなどと考えている次第です。